記録する事
内(inside) => 外(outside)
- 何よりも大切なのが記録を残す事
- 思ったこと、体調、気付き、考え方、作業ログ、思い出、写真などなど any format
- デカルトではないが、「我記録を残す、故に我があった」
「我思う、故に我あり」の真意
- 「疑う事をやめた瞬間に我はいなくなる」という意味
- つまり、疑問を持つことが我々の存在に不可欠であるという観点
- 「疑っても疑い切れないモノは考えている自分だった」という意味
- つまり、疑うことが唯一ではないが、一つの存在証明と主張している
デカルトの問題点
- まずそれが正しいとすると、逆説的に思考が停止したら「自分」が存在しなくなる
- というか、点として疑えない物を説明している
- 寝ている間だって自分はいる。
- もちろん哲学的な格言なのでそれに厳密性はない。
- あくまで主観的であり、その刹那を除いて、客観的に説明できない。
「我記録を残す、故に我があった」 が発展形
- 結局、疑う自分があっても存在の証明は瞬間のみ
- 本当に証明したかったら記録を残すべき。
- 文字こそが真理
- "I recorded, therefore I was."
- 記録(文字、映像、音声など)が本当の疑えない存在証明となる存在
- 記録の注意
- もちろん、クリティカルに読まなければならない。
- また、全ての内容がそのまま正しいとは限らない。
- ただ、少なくともその存在自体は正しい
- なぜなら、残した文章と自分の署名があるから。
- つまり、自己主権のある文字や言語化した記録ものこそが事物の正体
- デカルトとの比較:
- 自分の認識(精神) => 事物の認識は動的な存在証明。主観的、点。
- 自分の記録(物理) => 事物の認識は静的な存在証明。客観的、線。
- 事物、つまり、存在の事。思うだけでは存在にはならない。
- 反論:
- Q: 記録がない場合の「存在」はどう扱われるのかの疑問の答えは?
- A: 「存在するかもしれないししないかもしれない。分からない」
これはみんな思っている当たり前の事。DYAD と言う事。デカルトへのアンチテーゼ。そして、概念の中で生きているので、文字をちゃんと正しく残そうという自分への戒めである。
話し合いも文字にする
- 商談で条件が合わない場合は文字にするのがおすすめ
- 自分の口で言いたくない隠れた意見や
- どこが合わない条件かが明らかになる。
- また背景を残す事によって理解を進められる
- 条件を列挙して、妥協点を発見できる
例:
- XXX の同意条件 (And cond)
- XXX をする
- XXX をする
- Detail
- xxx
- Background:
- xxx
- Detail
- XXX をする
- Background:
- xxx
- Background:
悔いを残さない
- 人生最後の日に後悔するより、毎日後悔した方がいい
- それは、記録があれば可能だし、ないとしても忘れる
記録を色々と残す
なるべく色々な方法で色々な事を残す。
- mdbook
- 思考セットを残す
- wiki
- 作業ログを残す
- powerpoint
- 考えを整理するため
- mindmap
- 伝えたいことを整理するため
- twitter
- つぶやきを残す
- blog
- source code
- コードとして残す
- django
- DB として記録を残す
- notion
- google photos
- video / pictures
- message
- communication
- excel
- 体重記録
- thougth log
- email
- 契約